ウォルトディズニーと歯医者|長坂歯科|田町・三田の歯医者・歯科|噛み合わせ治療・お口の検診

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ウォルトディズニーと歯医者

 今年はウォルトディズニースタジオ100周年という記念すべき年です。

そして2023年10月16日本日がまさにその当日です。先日、遅めの夏休みをいただきまして、ロサンゼルスを旅行してきました。今回のロサンゼルス旅行の目的はディズニーランドリゾートに行くことだったのですが、もう一つの目的として、100周年を記念したウォルトディズニーの歴史を巡る旅をしてきました。ウォルトディズニーのお墓に行ったり、住んでいた家や、ゆかりのあるレストランなどを巡り、友人のご厚意でウォルトディズニーカンパニーの本社とアーカイブスまで案内していただけました。

 私は幼少期よりディズニーが大好きで、日夜ディズニーに関しあらゆる文献を読み漁り、研究しているのですが、実はウォルトディズニーと歯医者にはとても深いつながりがあります。

今回はウォルトディズニーと歯医者についてのお話です。

           ウォルトディズニースタジオ本社

ウォルトディズニーと歯医者

 トマスマクラムという歯医者さんの名前をご存じでしょうか?ディズニーファンの方でも、この名前を知る方はなかなかマニアックですね。

 ウォルトディズニーは1901.12.5、父イライアスと母フローラの4男として真冬のイリノイ州シカゴで誕生しました。当時のシカゴは、ギャングが台頭する非常に治安の悪い都市でしたので、子育てに適さないと判断した父イライアスは家族でミズーリ州のマーセリンに引っ越します。大自然に囲まれた田舎町で幼少期を過ごしたウォルト少年は、マーセリンで「絵を描くこと」「自然動物と触れ合うこと」「鉄道」「映画」に興味を持ち、のちの彼の人格に大きな影響を与えていきます。

 マーセリンの町並みはディズニーランドのメインストリートUSAに反映されています。東京ディズニーランドではワールドバザールです。日本は雨の多い国ですので、メインストリートにガラスの屋根がついていて、少し風景が変わってきますが、ホームストアの壁にはマーセリンの文字が入っていますのでチェックしてみてください。

 ウォルトの子供時代から語っているとものすごく時間がかかりますのである程度はしょっていきましょう。

 時は動き1919年、第一次世界大戦も終わり、フランスからアメリカへと帰国したウォルト少年は、高校を退学し、アーティストを目指し、シカゴに移り住みます。シカゴには彼の兄でディズニー家の3男であるロイが暮らしていました。ロイの紹介でぺスメンルビンアートスタジオに就職したウォルトは、この職場でのちに盟友となる天才アーティスト「アブアイワークス」と出会います。ですが就職したのもつかの間、不景気で会社は倒産。そこでウォルトとアブは二人で「アイワークスディズニー」というスタジオを設立します。ちなみにウォルトは「ディズニーアイワークス」にしたかったそうなのですが、看板を出した際、眼科と勘違いされ名前を変更したそうです。

 無名アーティストの会社への仕事の依頼は全くなく、ウォルトは「カンザスシティスライドカンパニー」という会社でアルバイトをはじめます。ウォルトはバイト先でどんどん出世をし、ついにはアブまでもその会社でアルバイトをするという状況になります。「カンザスシティスライドカンパニー」は「カンザスシティフィルムアドカンパニー」へと社名を変え、アニメーションの仕事をウォルトとアブで引き受けるようになります。そして1922年、ウォルトとアブは「ラフォグラムフィルム社」というアニメーション会社を設立します。ラフォグラム社ではおとぎ話を題材にしたアニメーションを作成し、現在のディズニーアニメーションの礎になっています。この時のウォルトディズニー社長は20歳でした。ニューヨークピクトリアクラブから6本の絵にメーション映画製作を依頼され順風満帆なように思われていましたが、依頼主が入金をせずに倒産してしまったのです。6本もアニメーション映画を製作したのに配給先が亡くなったウォルトたちは大赤字です。まさに人生のどん族でした。ウォルトは家賃も払えず借金まみれ。食事は行きつけの定食屋に無理を言ってツケにしてもらっていました。

          ウォルトとアブがアニメーションを製作していたガレージ

いよいよ歯医者さんが登場

 極貧のウォルトはお風呂にも入るお金がなく、駅の水道で体を洗っていました。そんなどん底時代のウォルトを見かね、一人の人物が手を差し伸べてくれました。歯科医師トマスマクラムです。ようやく歯医者さんの登場です。トマスマクラムはウォルトのあまりの貧困ぶりを見かね仕方なく仕事を依頼してあげました。トマスマクラムはウォルトのオフィスを訪ね「口腔衛生普及用の短編映画を作ってほしい」と依頼したのです。本来ならばウォルトがトマスのもとを訪ねるべきなのですが、当時のウォルトはついに靴すら質屋に入れてしまい、外を歩くこともできなかったそうです。

 ウォルトはトマスからの依頼で口腔衛生普及の短編映画「トミータッカーの歯」を作成し、なんとか食いつなぐ事が出来たのです。さらにこの時ウォルトはとても重要なことに気づきました。「アニメーションも伝え方によっては十分教育に応用できるのか」。当時のアニメーション映画といえば映画館で本編やニュースの幕間に流れ、くだらなくばかばかしいものとされていました。ですがウォルトは「トミータッカーの歯」をきっかけにアニメーション映画の持つ無限の可能性に気づきました。そこからも紆余曲折がありましたが、ついに1928.11.18ニューヨークコロニー劇場でミッキーマウスがスクリーンデビューすることになります。

 現在、ミッキーマウス・ドナルドダック・グーフィー・プルートはじめとするディズニーを代表する短編アニメーションの中に「歯医者」を題材とするアニメーション映画は存在していません。しかし近年、ボツになったミッキーマウスのアニメーション映画のコンセプトアートがみつかりD23で発表されました。その内容はミッキーマウスが虫歯になり、歯医者を受診するという内容です。コンセプトアートでは、虫歯で頬っぺたが腫れあがったミッキーマウスを、歯科医師に扮したペグレッグピートが大きな抜歯鉗子となぜかノコギリをもち追いかけまわすという内容でした。さらには歯科治療用のチェアに拘束されるミッキー。どうみても歯医者さんが悪者で、歯科の恐怖をあおる内容でした。この映画はウォルトの一声でボツとなりお蔵入りします。そこには「トミータッカーの歯」への思いがあったのかもしれませんね。

 ちなみにピクサー映画「ファインディングニモ」でも歯医者さんが登場します。そこで治療されている患者さんの名前が「タッカーさん」なので、是非そこにも注目してみてください。

              ウォルトディズニーのお墓